僕は「ネガティブなことば」を言わずに生きる。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
 

Sponsored Link

 

僕には信念が1つあって、 それは 『批判・不満・愚痴は言わない。人が傷つくかもしれない言葉は言わない』こと。

ただこれは、決して「人に嫌われたくない」という理由からきているものではない。

なんか偽善っぽくて嫌い、という人がいたら全然僕のこと嫌いになってもらって大丈夫です。

僕がこう思うようになったのは、「人にはタイプがあって、“良い”と思うモノ、”大事”にしているモノの感覚がそれぞれ異なる」ということを理解したから。

 

Sponsored Link



ある衝突

去年。ある人から、就活で悩んでいるとの相談を受けた。

僕なんて休学してカナダに来てしまっていたので就活に関しては無知だったけど、”デザイン”という好きなもので少ないながら生計を立て、人生がとても充実している感覚があったから、

「自分の好きなことをして生きる」

ことをメインのテーマに、僕にできる最大限のアドバイスをした。

が、しかし。 その人は根本的に「仕事と趣味を分けたいタイプ」で、僕の言った言葉が望んでいた回答と真逆だったらしく、僕と衝突してしまった。

僕は自分の経験を踏まえ「もうこれしかない!」くらいのアドバイスをして、勿論喜んでもらえると思っていたのに。

このとき「僕が ”絶対に正解だ” と思っていたこと」で人を傷つけてしまったことがすごくショックで、同時に、

「人にはタイプがあり、“良い”と思うモノ、”大事”にしているモノの感覚がそれぞれ違う

ということを学んだ。

 

チャレンジの否定

僕はバンドマンであり、フリーランスのグラフィックデザイナーでもあり、英語が大好きで勉強しているけど大学では全く関係ない社会学を専攻している学生というはちゃめちゃ具合。今カナダ住んでるし。

たくさんのことをやろう!という意図は全くなく、本当にただやりたいことがどんどん出てきてしまう人間のよう。自分でもよくわからない。

そして一度やりたいと思ったらチャレンジしないと気が済まない。

ただ、やりたいことの分母が多いが故、『これやる!』と明言して、結局やらなかったこともしばしば。

例えば2年前、英語がちょっと深刻なくらい好きになりすぎてしまって、今の大学を卒業後に通信制の大学に2~3年通い教員免許をとり、高校の英語教師になろう、と決めた時期があった。

本当に、真剣だった。

それをある信頼していた人に伝えたところ、

『え、でもそしたら働くのいつ?』

と言われた。

その人は何の悪気もなく、どんどん働くの遅くなるけどいいの?早く働いた方がいいんじゃない?という感じで聞いてくれたのだが、『応援される』ことを期待していた僕は少しショックだった。

僕は “いつまでも夢を追いかけていたら死んでいました” みたいなタイプだから、働く時期が他の人と比べて遅いとかは正直どうでもいい。自分のやりたいことを突き詰める過程にさえいれば。

でも、これ、最初に話した「就活アドバイス」の話の逆バージョンであり、 相手に全く悪気はない。

ただ、 『“良い”と思うモノ、“大事”だと思うモノの感覚が違うだけ』

当たり前のようで、直面するとなかなか本当の意味で理解するのが難しい。その後の人生の教訓を学んだ。

 

『やりたいことがある』ことの尊さ

「やりたいこと」がない若者が多いといわれる現代の世の中。

「ない」というかは、「あるけど現実的に無理そうだし」と無意識で思ってしまうくらいに、「夢を見ることの素晴らしさ」を若い時に教わってこなかったように思う。

僕の高校の時の担任なんて、僕が

「大人になったら、今の自分にはできないような色々なことが待っていそうで、楽しみ!」

と言ったら、

「んなわけないだろ、大人になったら縛られてばっかだ、どんどん楽しくなくなるんだよ。」

と言い放った。

まだ今ほどの芯がなかった僕はその言葉を素直に受け入れ、「そうなんだ、え、じゃあ大人になりたくないな。楽しいのは今が最後か…」と悲しくなったのを覚えている。

今考えてもこれは本当に教師として言うべきではないセリフだったと思う。

特に若い時って、大人の先生や親の言う言葉によって自分の頭の中ワールドが形成されているじゃないですか。

明日の天気とか、いつもお母さんに聞いて、「なんか晴れるんじゃない?」とお母さんが言ったら「明日は晴れ」だったもん。

違う?

まあ、でも本当に、

「言葉」は、使い方によっては他人の人生を変えてしまうような凄まじいパワーのあるものだと思う。

 

「他人の愚痴をこぼす」ことのメリットはあるか

僕はよく悩むけど、よくある「他人の愚痴をこぼす」ことで悩みが解消されたことがない。

優しい友達が「なんでも愚痴こぼしていいよ」と言ってくれるので、前はそれに甘えて愚痴を言ってたこともあるけど、結局いくら言っても自分を取り巻く状況って別に変わらないし、意識しちゃって悲しさが増すだけだった。

で、その時間があったら直接その問題を解決するための行動を起こした方が良いという超合理的思考が働き、やっぱり一人で解決しよう!と思うように。

「愚痴言う」→「スッキリ!」みたいな思考が根本的に備わってない。

本当に全然スッキリしないんです、なんか。

僕が特にこういう人間だからというのもあるけど、 こういった

「否定的、ネガティブなことば」によって救われるものって何だろう?

愚痴を言うことで本人がスッキリして悩みが完全に解決されるならばそれはOK。

ただ僕はそれでは解決できなくて、その時は本当に死ぬほど辛いんだけど、それを乗り越える努力をして実際に解決した時に初めて得られる自分の力を信じたい。

“ピンチはチャンス”のなので、どんなに辛い状況の中でも、自分を成長させてくれるポイントを探す。

勿論、いざ直面すると最初はそんな余裕ないんだけど。だから自分との戦い。

放棄するのはめっちゃ楽。だれかのせいにすればその場は凌げる。

でもやはり、相手の発言、誰かの行動に対する否定的なことば、愚痴や批判、また悪気はなくても人によってはそう捉えられてしまうような「ネガティブなことば」の類で、何か1つでも問題が解決するとは思えない。

むしろ、その相手と自分の価値を同時に下げているのでは、と思う。個人的には。

最悪自分の価値が下がってもいいとして、

僕は、誰かの「これがやりたい」と言う気持ちを絶対に否定したくない。

友達が、少々無謀だけど「これがやりたい!」と言っている。

あなたは心の中で(「いや、それ現実的に無理でしょ」)と思ったとする。

でも、あなたはそれ、やったことないですよね?

もしやったことがある分野のことだったとしても、取り巻く状況が違うし、関わる人も変われば結果は変わるはず。

成功確率が0.1%だったとしても、僕は絶対にその友達を止めたくない。

どれだけ効率が悪そうだなと思っても、「こっちの方がいいよ」とは絶対に言わない。

もしアドバイスを求められたら、そこで初めて「自分だったらこうすると思う」ということだけを伝えて、 最後の判断に関わるようなことばは言わない。

とにかく否定的な言葉は言わない。

どんな結果になっても良いからやってほしい。

「やりたいことがある」ということは、それほどかけがえのない出来事だと思う。

周りの意見、社会の目とかもうガン無視して突き抜けて欲しい。

そしてその人が結局失敗しても、残念だったというより、

「この方法ではダメだった、というヒントがゲットできて、次のチャレンジに繋げられるのでラッキー!」くらいに思う。

とにかく、成功・失敗がどう、というよりは「自分で決めたことを自分の意思でやり抜いた」ことに価値があると信じている。

やりたいことがあるけど言い出せない人、何をするにも周りの意見が気になってしまう人へ、

周りは、自分の話を聞いたその数分で直感的に思ったことばを返しているだけ。

「一般的にはこの方が良いとされている」という曖昧な考えに基づいて色々言ってくるだけ。

そんなに真剣に考えていない。

対するこっちは、もう何日も何ヶ月もそのことについて考えてる。

真剣度が違う。

自分を信じて良いと思う。

 

 

僕の信念

最初に話した「就活の話」「英語教師の夢の話」以来は特に、直接的な批判や否定でなくとも人のやりたいことに対してネガティブな意見になりそうなことは言わないよう、本当に心がけている。

人によっては、ほんの些細な言葉でも、夢を諦めようかなという気持ちにさせてしまう可能性があるので。

そんなことに気を使ったら自分の言いたいことが言えない!という議論もあるけど、

僕、そういう類のこと、

”言いたくもない!” 

言ってもスッキリしないし!

「ポジティブなことば」が言いたいのです。本当に。

僕は、「ネガティブなことば」に魅力を感じない。

何も生まない。誰かの夢を壊すかもしれない。

ただ「こっちの方がいいよ」と僕が言う権利もないと思っているから、あくまで「僕はこうして良かったです。自分ではこれが正解だと思いました。」というスタンスで、ただ僕自身のことを発信している。

それを見てくれた人が「良い」と思うか「悪い」と思うかは、その人次第。

僕はこれからこのブログを通して、海外や英語に興味のある人たち、また同年代で目標を持ち何かを頑張っている人たちを励ましたい。

心からそう思ってこのブログを始めた。去年は恥ずかしくてできなかったけど。てか今でもまだこういうこと書くのは本当はめちゃ恥ずかしいけど。

でも今の僕の「やりたいこと」が、

「自分が頑張る姿を提示することで、何か新しいことを始める同世代のきっかけを作る」

ということなので。

これだけ「やりたいことはやろう」と言っている本人がやらなきゃ意味ないですね。

また、 僕がこれから表現者としてもっと大きくなれたとして。

その分僕を批判する人が仮に増えたとして。

それでも僕はなにも言い返しません。

自分が良いと思って発信したことが誰かに嫌われるのはショックですが、それでも信念を貫いて伝えきったことに僕としては意味があるので。

それに、僕は、自分のために、また自分のことを応援してくれる人のためにやりたいことがありすぎて、正直批判してくる人に構っている時間がない。

自分でも呆れるくらい、僕にはもう「頑張る」ことしかできない。

器用に効率よく、とかじゃなくて、もう「ただただとにかくやる」

本当にそれしかできない人間だとここ数年で実感した。

もう、何を言われても突き進む。 「頑張る」という言葉じゃ軽いけど、本当に「頑張る」。

頑張る過程でたくさんの”頑張る人”と出会い、その美しさに見とれて、感化され、また頑張って、悔いなく死にたいなあ。

Sponsored Link

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

コメントを残す

*

CAPTCHA