【後編】新井リオの生い立ち ー 僕にはもう「頑張る」ことしかできない

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僕にはもう、「頑張る」ことしかできない 後編

まずは前編から読んでもらえたら、と思います。

少々長いですが、「本を読んでいる」と思ったらすぐだと思います。

本当に自信がなく、ネガティブだった僕。

まさかこんなに刺激的で創造的な人生が待っているなんて考えもしませんでした。

僕のとっても個人的で、ちょっぴり勇気の出るお話。お楽しみください。

 

 

成功の感覚

夢のような閃光ライオットが終わり、夏休みが明けた。

本選に出場した僕、そして三次審査まで出場した有賀のバンドの3人は、なんと始業式で体育館の舞台に上がり、表彰を受けた。 バンドで校長先生から表彰されるなんて、学校始まって以来初の快挙だと思われる。

ちなみに宮崎駿と同じ高校なので、クリエイティブの血を引き継いだのかもしれない、

なんて浮かれている間も無く、受験勉強が始まった。

すごい緩急だ。現実にもほどがある。

この時、すでに高校三年生の9月。試験まで、あと半年もない。

ただ、僕は”やる気”に溢れていた。

それまで「とりあえず全部うまくいかなかった」僕が、1万分の9の競争率を経て前からの夢だった閃光ライオットに出場したのだ。

なぜ出場できたか、僕はわかっていた。

僕の尊敬する、幻冬舎創設者の見城徹氏の著書「たった一人の熱狂」にこんな言葉がある。

「もうダメだ」からが本当の努力である。

僕はよく女子プロゴルファーに言います。 「その年1番苦しい努力をした人が、その年の賞金女王になる。もしあなたが35位だったら、あなたの努力は35番目だったんだ。」

見城氏の言葉を借りるならば、「その年の高校生バンドマン努力ランキングで1位」を取ることができたのだと思う。

僕は、成功の感覚をほんの少し、身につけた。

 

 

受験

学校見学で見たあまりに美しいレンガの校舎に一目惚れし、僕の第一志望は立教大学になった。

高校3年生の6月、センター模試英語で偏差値38を叩き出した。(まじです。)

立教大学社会学部の偏差値は64。

ビリギャル顔負けの実力不足だ。

昔の僕なら確実に諦めていたけど、バンド活動で培った”成功の感覚”を信じ、

「他の誰よりも頑張ればいいのではないか?」

という単純明解なソリューションを思いついた。

 

 

スターバックス

僕の家から高校までは自転車で30分。ちょうど中間地点に、朝6時からオープンしているスタバがあった。

僕は毎朝5時に起き、家で英文の音読をしてから自転車でスタバに向かった。6時のオープンと同時に入店し、カフェラテとウインナーデニッシュを食べながら午前10時まで勉強。それから学校に行く、という生活を続けた。

新しいギターを買うためにマクドナルドで1年間バイトをして貯めた10万円を全て毎日のカフェラテとウインナーデニッシュに費やした。モチベーションを高めるため、たまにチーズケーキも食べた。

それでも、他の生徒が午前10時過ぎに「おはよう~」と学校に集まる時点で、僕はもう4時間勉強しているのだ。

清々しかった。

お金はいつかなんとかなると思った。

今頭良くなって、未来の自分に稼いでもらおう、と本気で思った。

そのスタバではすっかり全店員さんに気に入られ、「高校卒業後はうちで働いてね」ということになった。

 

 

合格

とにかく勉強にハマった。

今までとことん勉強してこなかったからか、全てが新鮮で楽しかった。自分の知識が増えていくのが嬉しかった。

結果、第1志望だった立教大学社会学部メディア社会学科に合格。 1年の間に、バンド、勉強、2つの分野での夢を同時に叶えてしまった。

ただこれはたまたま起きたラッキーな結果ではなく、「自分の努力がもたらした必然の結果」だという実感があった。

僕は「頑張る」ことが大好きになった。

ネガティブだった自分に自信をつける唯一の方法が「頑張る」だった。

 

 

やりたいことがない

しかし、大学入学がゴールになってしまっていた僕は、入学後、目標を失った。

やりたいことがないのだ。

周りはみんなサークルや飲み会をエンジョイしているようだった。

1ヶ月だけサークルに入ってみたけど、 このとき既に「自分の夢を叶える過程以外の出来事」に、全く魅力を感じなくなっていた。

意識高い系に見られていたかもしれない。

大学には、単位を取る+学食(めちゃ美味しい)を食べるためだけに行くようになった。

入学後初めての夏休み、日々に刺激が足りなかった僕は、翌週の北海道行き便を予約した。

行ったことがなくて1番遠い場所が北海道だったからだ。

生まれて初めての1人旅はめちゃくちゃ楽しかった。

いわゆる観光はほぼせずに、現地で原付を借りて、山奥の湖まで行ったりした。

宿泊したカプセルホテルが風俗街にあって、おじさん、お姉さんを潜り抜けて歩いた。スリリングだった。この時まだ18歳。「なるほど。」と思った。「こうやって経済が回っているんだな。」と。

 

 

海外

僕は、「もっと遠いところに行ってみたい」と思うようになった。

遠いところの究極が「海外」だ。

僕は、大学の春休み、夏休みを利用してバックパッカーをするようになった。

行くときは大抵1人で1ヶ月間行く。

アメリカでお金をぼったくられ、

フランスで財布を盗まれ、

イタリアの空港の床で寝泊まりし、

イギリスでホームレスに絡まれ、

フィリピンで知らないおじさんのバイクに乗り風俗に連れて行かれそうになった。

それでも「1人で行く」ことに意味があった。

窮地に追い込まれた時に自分がどんな行動をとるのか、自分で知ることができた。

外国に行く度に、強くなれた感じがした。

 

 

英語

これだけ海外が好きなので、もちろん英語が話せるようになりたかった。

しかし、うちに留学費用はない。僕が高校生の時に倒産した後、新しく立ち上げた父親の事業は未だに上手くいかず、うちには壊滅的にお金がなかったからだ。

奨学金もバックパッカー費用でかなり使っていたし、とりあえず”普通の留学”ができないのは確定していた。

大学でウェイウェイしている人たちは、親のお金で当たり前のように留学に行く。 絶対に自分の方が留学したいのに。 悔しかった。

だからこそ僕は、 「日本で勉強して英語を話せるようになろう」 と思った。

今でこそ”英語馬鹿”で、単純に語学として英語を勉強するのが好きだけど、きっかけはこの悔しさだったと思う。

僕は、3年かけて、日本で英語が話せるようになった。

どうやって話せるようになったか。

それは、

あの、

長すぎちゃうのでこちらの記事を読んでくださいな。

うん。

とにかく、

話せるようになった。

 

 

デザイン

ソフトに触れたこともない、 絵なんて描いたこともない。 そんな僕が、大学1年の終わり頃、デザインにハマった。

バンドグッズを自分で作ってみたい!というのがきっかけだった。

もちろんデザイナーの友達なんて1人もいないので、全て独学だ。

みるみるハマり、大学の授業中もパソコンでずっとデザインをしていた。

「美大に行きたかったなあ。」

どうせ授業中も1人でデザインしているのだ。デザイン自体が授業だったらどんなに良かったことか。 それに美大ならデザイナーの友達もできて、切磋琢磨してスキルを磨いて…

うおーー悔しくなってきた。

社会学部という名のウェイウェイ学部で、こっちは学食食べてるだけだ。

「俺っていつもこうなんだよなあ」

なんか上手くいかないのが僕の人生だ。

ただ、この悔しさを糧に「努力」を引き出す技を覚えた僕は、独学で行くと決めた。

逆に、スタートも遅いし、絵は描けないけどバンドグッズが作りたいというヘンなきっかけでデザインにハマったバンドマンの僕だからこそできるスタイルがあるのではないかと思った。

バンド活動をしていると、グッズ、CD、ポスター、フライヤー、ロゴ… なにかとデザインが必要になってくる。

しかしこちらはバンドマンなので、デザイナーの知り合いはいない。

僕はその窓口になる「バンドとデザインの架け橋」のようなスタイルをとることによって、多くのバンドのアートワークを手がけるようになった。

何もできない状態から独学でデザインを初めて3年。まだまだギリだけど、今はこれで生計を立てている。

思えば英語もデザインも、この3年間で身につけたスキルだ。

ただの大学生が、3年でカナダ在住のデザイナーだ。

実際のところスキルはまだまだなのだけれど、それはアイデアと行動力でカバーできる。

これからはそういう時代になっていくと思う。

 

 

「頑張る」

今でこそ色々やっていて、”器用”とか”何でもできる人”だと思われることが多い。

どんどん行動するので、「え、新井って悩むんだ!」とまで言われたことまである。

新井、超、悩む。

何をやろうとしても、最初全然上手くいかないから。

でも、マイナスからのスタートだからこそ頑張れる。

軽音部に入ってもバンドが組めず悔しかったからこそ、地道なソロ活動からはじめてPENs+メンバーと出会えた。

英語の偏差値38だったからこそ、「本気で努力しなければ」と必死に勉強して第1志望の大学に入学できた。

全く話せないし留学するお金もなかったからこそ、独学で日本で英語習得する方法を考え、話せるようになった。

絵も描けずゼロから独学でデザインを始めたからこそ、自分のスタイルを見つけることに尽力し、今ではそれが仕事になった。

今ではもはや、

簡単にバンドが組めなくて良かった。

頭が悪くて良かった。

お金がなくて留学できなくて良かった。

美大に行けなくて良かった。

とまで思っている。

どれか1つでも簡単に叶ってしまっていたなら、今の僕はいないから。

 

未だに、「根拠のない自信」はない。

 

でも、自分ならどんな状況でも「地道に頑張り続けることができる」いう自信ならある。

というかもう、「頑張る」しか取り柄がない。

 

不器用で視野も狭くてミスも多いし運も悪い自分だけど、何か1つに死ぬほど熱中して、周りが見えなくなるほど「頑張る」ことだけはできる。

 

なんでもいきなり上手くいく天才ではないからこそ、

 

僕にはもう、「頑張る」ことしかできない、と思った。

 

 

 


あとがき

前編後編と、文字数約1万字の「新井リオ」に付き合っていただき、ありがとうございました。

以上が、今の僕という人間が出来上がった理由です。

生まれた時から「努力だ」「チャレンジだ」なんて言っていたわけではありません。

なんなら本当に人見知りだし、なにをやっても上手くいかず、すごくネガティブでした。

しかし、この3~4年で性格・思考が明らかに変わりました。

自分をポジティブにしてくれた一番の理由は、閃光ライオットから始まり、受験、英語、デザイン、バンド… という一つ一つの「成功体験」の積み重ね。

そしてその成功体験というのは自らの「圧倒的な努力」によって生まれる、ということを実感しました。

その「圧倒的努力」はどうやって引き出すか…

それは、

 

「ピンチ」

 

です。

「もうやるしかない」という状況で、人は自分でも考えられなかったような底力が湧いてくるのだと思います。

「ピンチ」を成功へのきっかけと捉えることができれば、もう怖いものはないですね。

 

 

じゃ、今日も頑張るか〜!(仕事の締め切りに追われ、ピンチだらけ)

 

 

ではまた。

 

 

———

 

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この記事を書いた人

新井リオ (@_arairio)

1994年生まれ。カナダ在住。 トロントとモントリオールを拠点に活動する、 フリーランスのグラフィックデザイナー / バンドマン / ブロガー

自身のデザイングッズブランドPENs+ SHOPを運営。

バンドPENs+ではVo/Gtを担当し、 2015年にカナダ、2017年にアメリカの計6都市でライブツアーを敢行。

英語が大好き。

独学勉強法とカナダでの生活を発信するブログ 『arairio.com – 新井リオの英語BLOG』を運営中。

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本の紹介

本文でも紹介した、幻冬舎の創設者 見城徹氏の著書はこちら。

もう、読むとやる気しか出てこないです。日々になにか刺激が足りない人におすすめ。

気が引き締まります。

「たった一人の熱狂」(Amazonで見る)

 

では!

 

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コメント

  1. Kissa より:

    「新井、超、悩む」の部分、クスッと笑えました。
    このブログは私のモチベーションを刺激してくれます。
    今後も楽しみにしています。

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