【後編】生い立ち

 

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受験

夢のような閃光ライオットが終わり、夏休みが明けた。

本選に出場した僕、そして三次審査まで出場した有賀のバンドは、始業式で体育館の舞台に上がり表彰を受けた。

バンドで校長先生から表彰されるのは、学校始まって以来初の出来事だった。

ちなみに宮崎駿と同じ高校なのでクリエイティブの血を引き継いだのかもしれない、

なんて浮かれる間も無く、受験勉強が始まった。

この時すでに高校三年生の9月。試験まであと半年もない。

 

学校見学で見たあまりに美しいレンガの校舎に一目惚れし、僕の第一志望は立教大学になった。

模試で英語偏差値38を記録した僕は、”目指す資格さえない人間”ともいえた。

昔の自分なら確実に諦めていたが、「だれよりも頑張る」ことでバンドの夢を叶えた自分は、

「受験も、だれよりも勉強すればいいのではないか?」と本気で思った。

 

スターバックス

家と高校の中間地点に、朝6時からオープンしているスタバがあった。

僕は毎朝5時に起き、家で英文の音読をしてから自転車でスタバに向かった。

6時のオープンと同時に入店し、カフェラテとウインナーデニッシュを食べながら午前10時まで勉強。その後学校に行く、という生活を続けた。

モチベーションを高めるため、たまにチーズケーキも食べた。

新しいギターを買うためにマクドナルドで1年間バイトして貯めた10万円を、ちょうど半年で使い切った。

お金が減ることへの焦りや、早起きする大変さを感じなかったわけでもないのだが、

他の生徒が午前10時過ぎに「おはよう~」と学校に集まる時点で、僕はもう4時間勉強しているのだ。

清々しかった。

それに、お金はいつかなんとかなると思った。

今頭良くなって、未来の自分に稼いでもらおう、と本気で思った。

そのスタバでは全店員さんに気に入られ、「高校卒業後はうちで働いてね」と言われていた。

 

合格

とにかく勉強にハマった。

今まで全く勉強してこなかった分、新しい知識を体内に取り入れる作業が楽しかった。

結果、第1志望だった立教大学社会学部メディア社会学科に合格。

あれだけ何をやってもだめだった人間が、1年間で「バンド」「勉強」2つの分野の夢を叶えてしまった。

ただ、これはたまたま起きたラッキーな結果ではなく「努力がもたらした結果なのだ」という実感があった。

僕は「頑張る」ことが大好きになった。

ネガティブだった自分に自信をつける唯一の方法が「頑張る」だった。

 

やりたいことがない

しかし大学入学がゴールになってしまっていた僕は、入学後に目標を失った。

やりたいことがないのだ。

周りのみんなはサークルや飲み会を楽しんでいた。

1ヶ月だけサークルに入ってみたが、 「夢を叶える過程以外の出来事」に魅力を感じなくなっていた。

意識高い系に見られていたかもしれない。

大学には、単位を取るためだけに行くようになった。

入学後初めての夏休み、刺激が足りなかった僕は、北海道行きの便を予約した。

“今まで行ったことのない1番遠い場所”に行こうと思った。

生まれて初めての1人旅は衝撃的に楽しかった。

観光はせず、現地で原付を借りて、山奥の湖まで行ったりした。

一人でこんなことができるようになった事実に感動していた。

 

海外

僕は「もっと遠いところに行ってみたい」と思うようになった。

そういえば、”今まで行ったことのない1番遠い場所”って、海外じゃないか。

毎月借りていた奨学金を切り崩し、

大学の長期休みの度に、バックパッカーとして世界を旅するようになった。

アメリカでお金をぼったくられ、

フランスで財布を盗まれ、

イタリアの空港の床で寝泊まりし、

イギリスでホームレスに絡まれ、

フィリピンで知らないおじさんのバイクに乗り風俗に連れて行かれそうになった。

それでも「1人で行く」ことに意味があった。

窮地に追い込まれた時に自分がどんな行動をとるのか、自分で知ることができた。

外国に行く度に、自分が”タフ”になっていくことを感じた。

 

英語

これだけ海外が好きなので、もちろん英語が話せるようになりたかった。

しかし留学費用はない。父の仕事はあれからずっとうまくいかず、正直、”信じられないほど”お金がなくなっていた。

しかし、こんなことを思った。

「お金がない」ことは「言語習得」には関係ないのではないか?

そこで「英語が話せる」の定義を自分で決め直し、

「英語日記」というお金のほとんどかからない勉強法を考えた。

勉強法についての詳細はこの記事に書いたが、ここから5年間英語で日記を書き続け、僕は英語が話せるようになった。

 

デザイン

ソフトに触れたこともない、 絵を描いたこともない。

そんな僕が、大学1年の終わり頃デザインにハマった。

バンドグッズを自分で作ってみたい!というのがきっかけだった。

お金がないので、これも全て独学だった。

ネットと本を読み漁り、大学の授業中もパソコンでずっとデザインをしていた。

こんなことなら最初から美大に行けばよかったが、大学入学後にハマってしまったのだから仕方ない。

後悔など見つけようと思えばいくらでもあるが、悔しさを糧に「努力」を引き出すことを覚えた僕は、再び「だれよりも練習する」ことを決めた。

初めてデザインソフトを触ってから4年が経った23歳の頃、僕はついに、デザイナーとして生計が立つようになった。

 

頑張る

今でこそ色々やっていて、”何でもできる人”だと思われることが多い。

しかし、”何をやってもうまくいかない”が全てのスタートだった。

軽音部に入ってもバンドが組めず悔しかったからこそ、ソロ活動をはじめてPENs+のメンバーと出会えた。

英語の偏差値38だったからこそ、「本気で努力しなければ」と必死に勉強して第1志望の大学に入学できた。

留学するお金がなかったからこそ、独学で英語を習得する方法を考え、話せるようになった。

美大に行けなかったからこそ、だれよりも練習することを決め、今ではこれが仕事になった。

今ではもはや、

簡単にバンドが組めなくて良かった、

頭が悪くて良かった、

留学できなくて良かった、

美大に行けなくて良かった、

とまで思っている。

どれか1つでも簡単に叶ってしまっていたら、今の僕はいないから。

未だに「根拠のない自信」はない。

でも、自分ならどんな状況でも「地道に頑張り続けることができる」という自信ならある。

というかもう「頑張る」しか取り柄がない。

不器用で視野も狭くミスも多いし運も悪い自分だけど、コレと決めたことに熱中し、周りが見えなくなるほど「頑張る」ことだけはできる。

なんでも上手くいく天才ではないからこそ、僕にはもう「頑張る」しかできないと思った。

 

 

 

 

 

 

 

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コメント

  1. Kissa より:

    「新井、超、悩む」の部分、クスッと笑えました。
    このブログは私のモチベーションを刺激してくれます。
    今後も楽しみにしています。

  2. かん より:

    はじめまして!僕は富山県に住んでる22歳のフリーター男です。今日たまたま新井りおさんのサイトに出くわして、いつの間にか夢中になって記事を見ていました笑
    あなたの生い立ちそして海外でがんばってる姿を見て僕も頑張ろうと思いました!

  3. もちごめ より:

    リオさん初めまして。

    グラフィックのデザインを学びたくて、でも、そもそもグラフィックってなんだよ?美大に行きたい。でもなぁ・・・って迷っている所からインターネットで検索していたところ、リオさんの記事がヒットしました。

    私も音楽が好きで、バンドが好きで、絵が好きで、海外に興味があって、英語が好きで共通点があり、嬉しくなりました。

    ただ、違ったのは考え方と行動でした。自分の甘さを知ったのもありますし、すっごい人がいるんだなっと、私もそうなりたい!と強く思いました。
    希望をいただけて、ありがとうございます。これからもずっと応援しています!

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